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2023年11月24日 (金)

西洋古典研究会第84回研究発表会のご案内

西洋古典研究会 第84回 研究発表会 

 

日  時:2023年12月16日(土) 研究発表   13時30分より

     研究発表はズーム会議による同時中継を行います。

     アドレスは12月10日頃に事務局よりメールにて御連絡致します。

 

場  所:日本大学文理学部キャンパス3号館3301教室

     入構時に身分証の提示を求められることがあります。

     その際は、西洋古典研究会に参加する旨をお伝えください。 

 

                          プ ロ グ ラ ム

                           

研究発表(発表30分 質疑25分程度。5時終了)   13:30 より

  1. プラトン『テアイテトス』177c-179bにおける相対主義批判

                       郷家 祐海(慶応義塾大学)

  1. 地下に移された楽園――『アエネーイス』におけるエリュシオン――

                        佐野 馨(名古屋大学)

                休   憩

  1. プラトン『パイドン』における魂の健康と病――「親近性の議論」の分析から――

                          三浦 太一(中部大学)

 

*懇親会は構内で開催できません。有志の方で帰路のお店にて一時をと存じます。

 

■会場のご案内:京王線「下高井戸」または「桜上水」駅下車、徒歩10分程度 

 

      発 表 要 旨

 

   『テアイテトス』177c-179bにおける相対主義批判

                      郷家 祐海(慶應義塾大学)

 『テアイテトス』161c-183bにおいて、プラトンは相対主義と流動説を批判的に検討する。その批判的議論は、多様な哲学的観点から展開されている。このため、それら一連の批判的議論にはまとまりがなく、各々の議論に応じて別々の哲学的論点が独立に取り上げられているようにみえる。その結果、『テアイテトス』161c-183bの一連の議論のなかで、プラトンの哲学的眼目がどこにあるのか、理解することが難しくなっている。

 本稿における私の目的は、『テアイテトス』161c-183bにおける相対主義と流動説批判に通底するプラトンの一貫した哲学的テーマについて、見通しを示すことである。そのために本稿では、177c-179bにおける相対主義批判(以下「未来判断論証」)に焦点を当てる。そこで私は、未来判断論証におけるプラトンの哲学的眼目がどこにあるのか検討する。

 未来判断論証のなかでプラトンは、未来の出来事に関する判断に着目することで、相対主義を批判している。この未来判断論証は、比較的注目されてこなかった箇所だと言える。『テアイテトス』の相対主義批判にかんするこれまでの研究は、169d-171dのいわゆる「自己論駁論証」の妥当性を検証することが中心になっていたからである。結果として、自己論駁論証と未来判断論証はそれぞれ別個に取り上げられることが多く、その関連性について論じられることは少ないのが現状となっている。

 従来の解釈では、177c-179bの相対主義批判におけるプラトンの眼目は、専門知の可能性を確保する点にあると考えられてきた。本稿で私は、この従来の解釈が不十分であることを論じる。その原因は、そこで言われる「専門知」の内実が十分理解されていなかったことにある。本稿で私が提案するのは、プラトンは「専門知」を「二つの判断が対立する」という文脈、言い換えれば「対話的文脈」とも呼ぶべき文脈のなかで捉えているということである。最終的に私は、この対話的文脈を十分考慮することで、未来判断論証が前後の批判的議論と共有する哲学的テーマについて、見通しを示すことを目指す。

 

   地下に移された楽園 ――『アエネーイス』におけるエリュシオン――

                         佐野 馨(名古屋大学)

 本発表はウェルギリウス『アエネーイス』6歌の冥界下りにおいて、死後の楽園エリュシオンが地下に配置されていることについて考察を試みるものである。

 ヘシオドス『仕事と日』の五時代の説話において、英雄の時代の人間たちは浄福者たちの島と呼ばれる楽園に送られたとされている。また『オデュッセイア』4歌においても、メネラオスがエリュシオンの平野に送られるだろうと語られる。このような楽園に関する伝承は、輪廻転生思想などとも結びつきながら、古代世界において語り継がれていた。ウェルギリウスの『アエネーイス』においても、エリュシオンという名で地下世界の一部として描かれ、アイネイアスと父アンキセスとの再会の舞台となった。

 古代ギリシアの楽園にはいくつかの特徴があり、その一つとして、それが地上世界のどこかにあることが挙げられる。オケアノスからの風が吹くという共通した表現はそのことを明示していると言えるだろう。また上述した二つのギリシア叙事詩において、楽園は死者が死後に行く場所ではなく、生者が死の代わりに行く場所とされている。当然、死後の世界である地下ではなく、地上にあると想定されていると考えられる。楽園が地上にあるというこの特徴は、輪廻転生思想を取り入れて魂が地上と地下を行き来すると語ったピンダロスの『オリュンピア祝勝歌』2番に至っても変化していない。

 それに対し『アエネーイス』では、エリュシオンが地下世界の一部として扱われている。『アエネーイス』の地下描写は、『オデュッセイア』の冥界下りに加え、オルペウス教をはじめとする秘儀宗教や哲学思想の影響を受けているとされる。しかし、そうした思想において地下で安息を得られるとされていたことと、安息の地が(地上にあるとされていた)エリュシオンであることの関係は複雑である。その事情を整理してみたい。

 

   プラトン『パイドン』における魂の健康と病 ――「親近性の議論」の分析から――

                         三浦 太一(中部大学)

 本発表は、『パイドン』篇の魂不死証明の一つ、「親近性の議論」(77d–84b)が示唆する、魂の健康と病に関するプラトンの理解を明らかにする。一般的な健康と病の区分けについては、身体と精神の正常な状態と、それに反する異常ないし欠如状態とが考えられよう。しかし、必ずしも病気とは言えない強い身体的快楽や恐怖、欲望の所有も、当議論では魂に最悪の害悪を引き起こす原因となる。すなわち、身体的感覚を通じた激しい情念は、それらをもたらす事物が最も真なるものだという、虚偽の信念を魂に与えてしまう(83c)。だが、本来魂は、神的で知性的であり不死の存在に最もよく似ており(80a–b)、身体から離れ思惟の働きのみを用いて、自らと同族である神的存在に至らねばならない(84a–b)。また、当議論の導入部では、対話相手らは魂が死後雲散霧消することへの恐怖を有しており、ソクラテスには、彼らの恐怖を追い払う呪い歌を議論によって与えることが求められている。以上の文脈からすると、当議論では、魂のあるべき/悪い状態についての一般的見解を越えた規定が示唆され、哲学的対話を通じて、魂が悪しき状態から自らを改善することが期待されている。

 上記の読解では、健康と病という視点から、親近性の議論が有する意義の再評価を行うことになる。『ティマイオス』篇(86b)は魂の病を明示的に規定しているが、『パイドン』でも、ソクラテスの最後の言葉が医神アスクレピオスへの言及であることも含めて、病という主題が研究者たちから注目されている(Betegh 2021, 金山 2014)。また、当議論の不死証明が魂とイデアの間の類似性という曖昧な概念に依拠していることから、議論の厳密性に関する弱さが指摘され(Gallop 1975)、意図的に欠陥のある議論が示されているという解釈もある(Elton 1997)。他方近年では、魂の本性を踏まえた個人のあるべき生き方や(栗原 2013)、死後の魂の在り方を提示している点で(Woolf 2004)、意義が見いだされ、論証の正当性にも肯定的な再検討がなされている(Ebrey 2023)。本発表は、当議論が、魂の病に関する新たな理解と病から回復する実践過程を示唆していると解釈し、その価値を改めて評価する。

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